おじいさんのおなかには、大きな穴が開いていた。 戦争に行ったとき、弾が突き抜けたのだ。 風呂屋で、おじいさんと世間話をする人は、おじいさんのおなかごしに、体を洗う人が見えたものだ。 時々なぜか、おじいさんの使ったあとの湯舟に舟のおもちゃが浮いていた。 そんなおじいさんが倒れて、僕がおじいさんのお世話をすることになった。 おじいさんには、もう意識はなかったけれども、いつも笑みを浮かべていて、とっても幸せそうだった。 ある日、いつものようにお風呂に入れてあげるとき、十年ぶりにおなかの穴をのぞくと、そこに見えたのは美しい海と、ぽっかり浮かぶ島の光景だった。 柔らかい光の中、おじいさんが舟の上に寝そべっているのが見えた。 あまりの心地よさに、漁に出たことなんぞすっかり忘れて、ただただ気持良さそうに穏やかな波間を漂っていた。 おじいさんが、何故あんなにもいつも幸せそうな笑みをうかべているのかが、わかったような気がした。 それから、おじいさんをお風呂に入れてあげるたびに、おなかの穴を覗いては、舟のおじいさんと島の様子をうかがうのが僕の習慣になった。 あるとき、漁に出たきり帰ってこない人達に、業を煮やした島の人々は、島のてっぺんにグロテスクな灯台を建てた。 島に帰港することをも忘れ、ただただ海を漂っていた人達も、完全な調和をもったその景色を乱すグロテスクな灯台を見て我に帰り、舟を島へ向けた。 おじいさんの舟も島に戻っていった。 その次の朝、おじいさんが亡くなった。 僕は、そっと、おじいさんのおなかの穴をのぞいてみた。 穴は、きれいにふさがっていて、あとかたもなかった。 |
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今村 哲「腹の穴」- Daliash Hotel 2001より
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